2023年2月26日、日本初の世界文化遺産を讃える第29回世界遺産姫路城マラソンを走りました。
今回のフルマラソンの旅ランは姫路が舞台。
優美で荘厳な白い名城の存在感は、姫路駅に降りたった時から抜群。
白鷺城をスタートとゴールで拝むことができる世界遺産姫路城マラソンは、4年ぶりの開催でした。
エントリー
11月に両膝靱帯を損傷した僕は、翌月の湘南国際マラソンを無念のDNSしました。
12月の月間走行距離は70キロほどまで落ち込みましたが、1月に入ると徐々に走ることができるようになりました。
そして、1月22日の湘南藤沢市民マラソンに参加して、10マイル(およそ16km)を無事に走り切ることができました。
一方、湘南国際マラソンを走れなかったことでレースの目標を失っていたのですが、自分自身を奮い立たせるため思い切ってウルトラマラソンに申し込みをしました。
そんな中、10マイルとは言えレースでしっかり走れるまで膝が回復したことに自信を取り戻した僕は、4月のウルトラ挑戦前に一度フルマラソンを走っておきたいと考え、この姫路城マラソンにエントリーしたのでした。
3回目のスタート
僕にとって3度目のフルマラソン。
コースは、姫路城を背にして大通りをスタートしてから、山間を流れる夢前川に沿って北上して塩田温泉郷付近で折り返し、川沿いを戻って姫路城内でゴールとなります。
前半は緩やかに上り、後半は緩やかに下りますが、高低差は70mほどで、高速コースといわれる設定です。
そして、当日の天気は、薄曇りで気温10℃前後、風も強くなく絶好のレースコンディションでした。
一方、フルマラソンに対して回復した膝がどうなるか不明だったこともあり、事前に明確なレースプランを決めていませんでした。
このことが、レース内容を大きく左右するのでした。
高揚感
今回のスタートはBブロックから。
スタート地点まで2分半を要した黒部名水マラソンや、リレースタートだったオホーツク網走マラソンと違い、初めての前方ポジションからの走り出しとなり、テンションは自然と上がります。
スタートゲートを号砲から50秒で通過すると、渋滞もそこそこに5分後には自由に走れるようになりました。
5か月ぶりのフルマラソン。
スタート前はその間に積み重ねて強化した走力と負傷した膝への不安とが僕の中で交錯していました。
ところが、スタート直後こそ慎重に走り出したものの、レースの高揚感からかすぐに初心者のようにペースを見失います。
5キロ地点に到達する前に、3.5時間のペースセッターさんに追いつきます。
いま振り返ると、このとき、ペースセッター集団に身をあずけて走行するべきでした。
仮に集団と一緒に行くと、レース序盤から20キロくらいの中盤までは、ペースセッターさんの背後と横では大勢のランナーたちと並走することになります。
オホーツク網走マラソンで学びましたが、ランナー同士が近い距離で走ると接触の危険があり、それを避けることを気にしながら走るのも意外とストレスとなります。
一人で走ることに慣れている僕は、こんなことを思いながら何気なくペースセッターさんよりも前のポジションへと移りました。
すると、3.5ペースセッターさんの前方に位置取るランナーたちに引っ張られ、気がつかないうちに自然とペースが上がっていきます。
爆走
当初は3.5ペースセッターの少し前のポジションを走り続けていくつもりでいました。
ところが実際には、サブ3.5からサブ3の間のタイムを狙うランナーさんたちのペースに組み込まれていたのです。
ペースセッターさんの前に位置取って以降のラップは、1月の10マイルレースのペースと同じかそれ以上。キロ4分40秒から30秒を刻んでいきました。
スピード練をしたことのない僕にとっては練習でも経験したことのないハイペース。しかもフルマラソンの本番です。
今、こうして書いていても、あまりの無謀さに閉口です、、、
しかし、このときの頭の中には、レースの興奮でイケイケになっている僕と、途中で潰れてもそれも一つの経験になると考える冷静な僕とが、同居している状態にありました。
20キロ手前の折り返し付近では、緩やかな上りに冷たい向かい風が重なり、案の定、かなり辛くなっていました。
折り返しから先は下り基調となります。
ヒタヒタと僕の足に限界が近づいてきてるのがわかりましたが、下り傾斜のおかげで、ペースは落ちるどころか少しずつ上がっていきます。
ハーフ通過地点では、なんとハーフマラソンの自己ベストよりも8分も早いタイムで通過。
そこから無心で30キロまで引っ張りました。
そして、小さな橋を渡り30キロ地点を越えると、道幅の狭いサイクリングロードに入ります。
このコースの変化による小さなアクセントをきっかけに、とうとうと言うかやはり僕の足は売り切れを迎えます。
苦行
本当のフルマラソンは30キロからはじまります。
これは過去二度のレースで強烈に体験したことです。
まだマラソン未経験だったころ、30キロ云々の話は精神的なことによるものではないかと僕は思っていました。
ところが、理由はともかく確実に判で押したように30キロ過ぎに肉体に変調がきます。
ある意味、ここからいかに粘れるかがマラソンの真骨頂だと思ってはいたものの、今回は過去2回のレースの時よりも体力的に余裕がありません。
何せここまで「大爆走」してきていますので、、
ペースは35キロまでにキロ5分台となり、以降は6分台まで落ち込んでしまいます。
スピードが落ちた分、沿道からの一人一人の応援をたくさんの時間受けることができて本当はありがたいのですが、もう疲労困憊となっていて、それまでのような笑顔で応えることもままなりません。
加えて、30キロまで実力を遥かに上回るペースで引っ張った分、後続は僕よりも力のあるランナーたちばかりとなるため、とにかくここからは抜かれまくります。
おおげさでなくゴールまでに百人単位で追い越されたと思います。一方、抜いた人は体調不調でリタイア寸前で止まったり歩いているランナーなど片手くらいだったか、、
入城と感謝
前半突っ込んで後半大失速してしまうお恥ずかしいレース展開だったものの、それでも残り数キロの苦行を乗り越え、なんとか無事に大手門をくぐり、最後は眼前の優美な白鷺城の姿を拝みながらフィニッシュ!
コースとコンディションのおかげもあり、結果はPBを大幅に更新する3時間36分20秒(グロスタイム)でした。
今回は無念のDNSした湘南国際マラソンのTシャツを着て走りました。
出身地ワッペンを確認した大勢の沿道の方々から「神奈川の人がんばれー」と応援していただきました。
とても励みになりました。本当にありがとうございました。
また、レース前日にもらった地元小学生からの手書きの応援メッセージには、こんな言葉が書かれていました。
「おそくても、最後まで走りぬけれただけで、それでいいです!」
今回の参加は、僕にとっては、ケガ、病気、身内の不幸など、直前まで様々なことが立て続いて難しいタイミングでした。
最後まで走りぬけることができて本当に良かったです。
関係してくださったすべての皆さんに感謝します。
そして、次へとつづく