2024年7月14日、The 4100D マウンテントレイル in 野沢温泉 2024の65kmに参加しました。
僕にとって2回目のトレランのレース。(前回の記事はこちら)
今回はしっかりとトレイルの洗礼を浴びたレースとなりました。
セクション1 ポール
この大会の最長距離である65kmのレースはセクション1から3の三つに分かれ、オリンピックスポーツパークを基点として、それぞれ23km、14km、28kmのコースを巡ります。
セクション1では、7時のスタート直後に、有名な野沢温泉の中心街を通り抜けます。
ここでは温泉の湯気も立ち込める狭い路地を走りながら、沿道に立つ地元商店と温泉客の方々や、後からスタートするランナーたちからの声援を受けることができ、とてもテンションが高まりました。
温泉街からいったんオリンピックスポーツパークに戻ると、次に毛無山へと向かいます。
ここからトレイルに入るまでの長く続く林道の区間、緩やかな上りが続きました。気持ち的には走ってつなぎたいところでしたが、早くもこの辺りで今日の身体の動きが本調子でないことに気付きます。
もともと懸念していたのですが、3週間前のサロマ湖100キロウルトラマラソン(記事はこちら)の疲れが残っていて、思うように走れません。前日まで疲労抜きに努めてましたが、十分ではなかったようです。
こんな調子では、「今日は行けてもセクション2まで、下手したらセクション1だけで終わりかも」と早くもこの時点でリタイアの文字が頭の中に浮かびました。
そんな状態でトレイルへと入って行ったのでした。
じつは、一週間ほど前にYoutubeでこの大会の以前のレースやコースの様子を確認している中で、何となく今回はポールを試してみようと思い立ち、直前にトレラン用のポールを調達していました。スキーや山登りでは使用した経験があるもののトレランでは初めてです。実際に山で練習する時間がなかったので、これも動画で勉強しました。そしてこのポールが、動きの鈍い僕の足の救世主となります。増えた二本の足が上りの負荷と下りの負担を軽減し、走力が2割増になった感覚がありました。
トレイルに入ると、僕は迷うことなくすぐにポールを使いはじめました。
このポールの強力なサポートを受けて、セクション1のボスである毛無山の急登を何とか前へと進んでいきます。
天気予報より少し早く、スタートの2時間後くらいから小雨が降りはじめました。走る前に懸念していた暑さと脱水の方は大丈夫そうです。
毛無山の山頂を越え最初のエイドを過ぎると、基本的に下りのパートになります。途中の浮石の多いテクニカルな区間は、初めて経験する難所で、神経をかなり遣いましたが、何とか無事にトレイルを終えることができました。
こうしてセクション1は無事に4時間20分ほどで終了。
スタート間もなくからリタイアも考えながらのラウンドでしたが、最後のロードから足が動くようになりはじめたこともあり、セクション2へと進みます。
セクション2 修験道
このセクションでは、北龍湖周辺の林道やトレイルを走ってから、古くからの修験霊場である小菅神社の奥社へと向かう石段の急登を上ります。この登りがなかなか長くタフで、本物の修験の道を体感することができました。
ところで、レース中に気づいたのですが、森は雨の時の方が普段よりも美しく神秘的になります。無数の雨粒が木々の葉の上に乗り、樹木の隙間から注ぐ軟い陽の光でキラキラと反射するせいで、森の中は輝きを放つ深緑の世界に包まれます。天気や季節によって様子は違うのでしょうが、この時期の森の中が、雨の演出がこんなにも素敵なものになるとは全く知りませんでした。
そんな背景の中で、森の奥深くにある頂へと繋がるエンドレスな急登を心を無にして上り、ようやく奥社を越えて、さらにしばらく上り続けると、そこからは下りのパートとなります。
14kmの最も短いセクションの唯一のピークを越え、残りは下るだけで楽勝のはずだったのですが、ここからが新たな悪戦苦闘のはじまりでした。
それまでに降った雨の影響と足跡により、雨水で緩くなった粘土質の道はトレランシューズのラグを無能にさせて、ランナーたちは次々に転倒しました。転倒を恐れるランナーは道路脇で立ち往生し、意を決して下ろうとすれば、足元は滑り尻餅をついて、そのまま泥川となった坂をずり落ちていく始末。
ポールを持っている僕は、何とか4本の足でバランスを保とうとしたものの、やはり何度か転倒して、全身ドロドロになって滑り下りて行きました。
ようやく山を抜け、オリンピックスポーツパークへと戻る途中、田んぼの用水路を勢いよく流れる冷水で、身体やポールの泥を洗い落としつつ、セクション2を終えました。
この時点でスタートから7時間近くになっていました。
セクション3 低体温
スタート&ゴール地点であるオリンピックスポーツパークは、各セクションの発着起点となる場所でもあり、芝生の上にはデポジットを置いておくことができます。僕は冷やした飲み物や食料を入れたクーラーバックと着替え一式を持ち込んでいました。
ここでしっかりとエネルギー補給をしましたが、雨でシャツが濡れていたにも関わらず着替えはしませんでした。そして、この調子なら制限時間は問題なさそう、体力的にも完走する力は残っていると判断して、最長のセクション3に進むことにしました。
結果的にこのセクションは最もタフでキツい区間となりました。少し迷った着替えの判断も、後から考えると悪い方に影響してしまったと思います。
セクションの前半、ひたすら長く続くスキー場とロードの上り坂に体力を消耗し、セクション1の終盤から動いてくれるようになった足が再び重くなっていきました。
この間に雨足の方は益々強まっていき、気がつくとすっかり大雨の様相となっていました。セクションの中間くらいに位置する巣鷹湖のほとりでレインウェアを着用しましたが、この時点で足先まで全身がずぶ濡れになっていて、身体はかなり冷えていました。
その後も上り基調で走ることができず、レインを着用したとは言え、肌に触れている衣類は全て濡れているので、体温がどんどん奪われていきました。
ようやく第4関門であるエイドに辿りつき、トイレを済ませ、ゆっくり立ち止まって水を飲んでいると、突然、ガタガタと全身に震えが襲ってきます。
低体温症の初期症状です。
僕はすぐさまエイドに用意されていたおにぎりを食べ、2個目のおにぎりを摂り、3個目も急いで口に入れました。体温を取り戻すために炭水化物でお腹を満たそうと咄嗟に思ったのでした。
そして、誰かがウォーターサーバーから熱いお湯が出ると言っているのが耳に入りました。それが熱いお湯であることを確かめると、二本のソフトフラスコに満たした水とスポドリをその場で捨て、お湯に入れ替えて、バックの両胸に差し直しました。
関門通過のチェックを受ける際、スタッフの方に仮にここでリタイアするとどうなるか、次はどこがリタイアできるポイントになるのかを確認しました。少し考えてから、僕は次のチェックポイントまで頑張ることを決めました。
こうして再び走り出した時、依然として雨足は強いままでしたが、ここから先は下り基調になるので、足を動かし続けて体温を下げないように注意して進んでいきます。
遮るものがなく直接雨に打たれ続けたスキー場やロードの環境から、木々のおかげで雨の影響が和らぐトレイルへと移ったこともあり、胸の温かいお湯を頻繁に口に含みながら、少しずつ体温を取り戻していきました。
この時、もし低体温症が悪化したら、レース続行が難しいだけでなく、山の中で動けなくなり状況が悪化するリスクがありました。そのようなプレッシャーを抱えつつ、身体を動かし続けることを意識しての緊張した走行となりました。
後日、冷静に振り返って情報を集めてみると、低体温の回避には、食料をたくさん摂取したことが一番大きかったようです。どちらかと言うとあの時は本能に近い行動でしたが、いずれにしろ、トレイルの難しさとリスクを体感することとなりました。
日没までにはゴールしたいと思いながら走り出したセクション3でしたが、スタートから12時間20分後、ヘッデンを灯しながら無事にフィニッシュラインに戻ってくることができました。
今回は、森の美しさを知り、童心を思い出し、トレイルの厳しさを学びました。
そして、僕はこれからトレランに「ハマるかも」と思ったのでした。
つづく。