海と陸
10代の終わりから20代のはじめ、僕は葉山の森戸海岸を拠点にセーリング競技に打ち込みました。
相模湾の東の淵にある森戸海岸は、海の向こうに江ノ島と富士山を望むことができ、森戸神社と裕次郎灯台と名島に映える夕景が最高に美しい湘南随一のビーチです。
そんな陸からの眺めも最高だったけれど、ひとたび帆に風を受けて海原にくり出せば、わずか数百メートルほどの沖合いであってもそこには別世界があリました。
人が営む日常の喧騒やら、つまらない社会の秩序やら、世の中の面倒なことから隔絶した、悠久より続く絶対的な自然の営みがそこにはありました。その中で、人知れず無力にも風と潮に晒され、自分という存在のちっぽけさを否応なく認識させられました。
そんな思いに駆られながら眺める向こう側の世界に、いつ見ても変わらずそこに存在する逗子や鎌倉の山並みと、その辺りで安穏に暮らす人々の何かを見ていました。
僕の中には、「あちらの世界」と「こちらの世界」の二つの認識が存在したのです。
それは学生時代を人生のモラトリアムとして過ごす時間の中で芽生えた青くて身勝手なものでした。
海の人から陸の人へ
就職して社会人になり、糸の切れた凧のように僕の足は海から遠ざかっていきました。
それからしばらくして、「あちらの世界」に存在するいわゆる社会の荒波という凡庸なものに揉まれる中で、僕は10年後に再び海に戻ることになります。
偶然、海岸近くの社員寮に引っ越すことになり、これをきっかけにサーフィンをはじめました。
「こちらの世界」に浸かっていた学生時代の僕から見ると、波乗りは中途半端な位置付けでした。それは舞台が沖の海原でなく波打ち際だったからです。
ですが、社会の中ですっかり乾いてしまっていた僕に対して、波乗りは活力と自然への畏怖の念を思い出させてくれました。
それから20年以上に渡ってサーフィンを楽しんでいますが、サーフィンにおいては「波に乗る」時間よりも「波を待つ」時間の方が圧倒的に長いという特性があります。
これは波に乗ることがおぼつかない初心者だけでなく、中級者や上級者にとっても言えることです。
したがって、サーファーたちは圧倒的に長い待ち時間を海に浮かんで過ごしています。
ひたすら集中して良い波を待つ、仲間とおしゃべりする、ぼーと物思いにふけるなど、過ごし方は人それぞれですが、そんな時間もサーフィンを愛する人にとっては楽しいもの。
そんな中、僕は波待ちをするとき、波打ち際から砂浜を挟んだ向こう側にいつも存在している、海岸線と並行して長く続く遊歩道をランニングする人々を目にしていました。
そして、いつもそんなランナーたちを一方的に憐れんでいたのでした。
何が悲しくて海を目の前にしながら「あの人たちは走るのだろうか」
走ることでわかったこと
4年前、そんな僕がコロナをきっかけに「走る人」になりました。
当時は外出自粛でサーフィンも自重する世間の雰囲気があった中、完全に消去法でのチョイスでした。
「やることがない」「外の空気を吸いたい」「身体を動かしたい」
だから走る。
とりあえずそんな感じです。
きっかけはともかく、とうとう僕もセーリングやサーフィンをしながら見ていた「あちらの世界」の人になりました。
ところが、走る人になってほどなくして気がついたことは、走る行為が「僕の中の奥にある自然な何か」を取り戻してくれることです。
その「何か」を明瞭に表現するのは難しいのですが、
走っている時に目にする、海や川や山などの自然の光景やそこで感じる匂いや音や空気が、
じつは学生の頃に森戸海岸の沖合で感じたものと同じ種類のものではないかと思っています。
気がつくと、僕の中で海と陸がいつのまにか繋がっていました。
こうして、昔は遠く隔てられた存在として認識した「こちら」の世界と「あちら」の世界とは、
じつは簡単に行き来できることを、走ることを通じて知ったのでした。
つづく