2022年2月、東海道のど真ん中、静岡県袋井市の街中を走りました。
東海道ど真ん中
袋井は僕が幼い時期を過ごしたところです。
父親の転勤で横浜から引っ越して以来、幼少期から思春期の14年間住んでいました。
静岡県西部の小さな町で、当時の人口は4万人ほど。
太平洋ベルトに位置し大企業の工場などが数多くありますが、これといって有名なものはありません。
全国的に一番知られているのは、2002年サッカーW杯の際に造られたエコパでしょうか。
それでも、江戸時代に京都と江戸を結んだ東海道五十三次において、西からも東からも27番目の宿、ちょうど真ん中の宿場だったということで、「東海道どまんなか」として売り出しています。
今回は、運転手として家族をエコパで開催されたコンサートまで送り迎えすることとなり、その待ち時間で、東海道どまんなかの懐かしい街をたびランしてみることにしました。
あいにく小雨模様の天気ですが、ランニングは出来そうです。
ネットで調べてみると、いくつかお薦めのウォーキングコースが紹介されており、
今回は「旧東海道・原野谷川自然満喫コース」の約11キロを走ってみることにしました。
街を離れて35年でずいぶんと様子は変わってますが、土地勘はあるので、コンサートが終わるまで2時間あまりの時間を使って走ります。
学校山
袋井駅そばの駐車場に車を置いてスタートしますが、最初からコースを少し外れて母校の小学校に立ち寄ってみます。
駅から小学校までは650mほど。信号もほとんどないので大人の僕は5分も走ることなく到着しした。
母校の正面玄関の校舎は、30年以上前に卒業した当時の建物であり、広い校庭や屋外プールの様子も変わっていませんでした。
そして、校庭の奥に位置する学校山もそのままです。古墳のように大きく盛り上がった森の中にはフィールドアスレチックがあり、体育の授業で遊んだり山の中を走った思い出があります。
その記憶が甦った僕は、学校山の中に入ってみます。小学校を卒業して以来です。
「学校山」と掲げられた看板の脇から山へ足を踏み入れると、そこは当時と変わらない背の高い木々に覆われた森となります。
入り口からトレイルの道が左右に伸びており、まずは左手の道から森の中へ入ってみます。
不整地の傾斜を駆け上がっていくと、すぐに行き止まりとなってしまいました。
僕の記憶では、この先を進んで山の反対斜面に行くとアスレチックがあったはずなのだけど。
すごすごと引き返して、入り口から反対の右手の道へ行ってみます。
ところが今度は左手よりも、さらにすぐ近くの場所で行き止まりとなりました。
当時、体育授業のクロスカントリーで山の中をぐるぐる走り回らされるのは好きでなかったけど、大人になってランニング好きになった今の僕は、再び走れなかったことを身勝手に残念に思いました。
それでも、森の中の雰囲気は変わってなくて、まるでタイムスリップしたかのようで、それだけでハッピーな気分になれたのでした。
原風景
こうして母校を後してから、原野谷川の堤防に出て、川上へ向って走ります。
当時住んでした家は原野谷川沿いにあり、この堤防にはたくさんの思い出があります。
懐かしい気分で堤防のロードを東に進んでいくと、当時と変わらない原風景が現れてきます。
潜り橋の上から川上の方に目をやると、右手の奥に低山の山並みがありつつ、見渡す限り高い建物や木々もなく、広い大地と、大きな空がドンと居座っています。
この日は休日でしたが、堤防を歩いたり自転車に乗る人もまばらで、ランナーには一人も出会うこはありませんでした。
もしかしたら、この田舎の広い土地では、わざわざジョギングをする人はあまりいないのかもしれないと思いました。
原野谷川が、掛川市の中心から流れる逆川と合流するポイントを通り越して、さらに上流へと進み、「名栗花茣蓙公園」で折り返します。
この花茣蓙(はなござ)公園は、江戸時代の旅人が休息する場所として知られ、当時は花茣蓙を商う商店が軒を連ねた場所だそうです。
今回初めて訪れたのですが、今は同じ東海道の宿場町だった藤沢に住む僕が、こうして旅ランでかつて住んでいた地を訪れ、この場所を知ったことに一人で感慨深く感じたのでした。
そしてここからは、旧東海道松並木を袋井宿まで向かって行きます。
「この道は昔の東海道なんだよ」
当時この道を通る時に何度となく言われたのですが、この年齢になってようやくその意味というか価値を理解することができます。
江戸時代の様子を想像して、東海道の中間地点のこの場所を行き交った先人たちは、一体どんなことを思っていたのだろうか、などとぼんやり考えながら走っていると、徐々に雨足が強まってきました。
そろそろ時間も迫ってきています。
こうして、今回の僕の個人的なノスタルジックな束の間のたびランも、フィニッシュを迎えるのでした。
旅はつづく