2024年4月21日、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 5LAKES 118kmを走りました。

暗闇の号砲

昨年参加した3LAKES 62km(河口湖・西湖・精進湖の3湖、記事はこちら)から、今年は山中湖と本栖湖を加えた5LAKES 118kmに参加しました。

本栖湖を除いた4LAKES 100kmもありますが、一気に5湖へのチャレンジです。

早朝の号砲。5LAKESは4時と4時15分の二つのウェーブスタート。僕は4時15分でした。

続いて4時30分・45分・5時に4LAKES、6時50分・7時に3LAKESと号砲が続きますが、5LAKESのスタート時にはヘッドライトが必要です。

序盤の山中湖

5LAKESと4LAKESは最初に山中湖へと向かいます。

山中湖は富士五湖で2番目に大きいのですが、隣の湖との距離が最も離れており、山中湖を一周してスタート地点であり河口湖との間にある富士北麓公園まで戻ってくると、40キロ近い距離となります。

ここまでを「いかに力を費わずに走るか」が完走に向けてのポイントとなります。

先のことを考えず、出来るだけ心を「無」にして、まずは淡々とレースを運びます。

定期的に水分や補給をとり、無駄なくトイレを済ませ、景色を楽しみつつ時々周囲のランナーと話したりしながら、途中に17.5キロ地点、第1関門の山中湖交流プラザきららを経て、一湖目の山中湖をクリアします。

あいにくの曇り空でしたが、この頃には太陽が東の空に昇っていました。

富士山は何とか姿を見せてくれています。

河口湖手前からの綻び

忍野を通り過ぎて富士北麓公園へと向かう長い登り坂を上がりきると、38.3キロ地点、富士北麓公園上の第2関門を通過します。

タイムはまずまず。予定どおりの通過で足にも余裕があります。

ここまでレース序盤は順調だったものの、富士北麓公園から河口湖へと向かう7キロに及ぶ長い下り坂で、どんどん足を消費していきました。

僕は下り坂が苦手で上手く足を捌くことできません。

40キロを走ってきた後なので、この弱点が大きく露呈してしまいます。これがウルトラの怖さです。

スタートから50キロくらい、長い長い下り坂が終わる河口湖大橋を渡ったあたりから、下りのダメージの影響で足の動きが鈍りはじめ、徐々にスピードが落ちていきました。

ウルトラの仲間との出会い

富士五湖で最も大きい河口湖の北側を走り抜け西湖へと向かう途中で、56キロ地点、第3関門である足和田出張所の手前の信号待ちで、

「あぁ、まだ半分も走ってない。でも、ようやくこの後は激坂で堂々と歩くことができる」

と口にする5LAKESの男性ランナーさんがいました。

見ると同世代くらいで、僕と続きのゼッケン番号だったこともあって親近感を抱き、しばらく会話を交わしながら走りました。

前日に名古屋から車で来たのだけど、途中で携帯電話を忘れたことに気づき、わざわざ静岡県の島田で引き返して取りに戻ったのこと。

「走る前からウルトラですね」と、くる楽しい会話のひと時になりました。

不安の西湖から精進湖

足和田エイドを出発して激坂を登って峠道を越えると、その先は細長い形をした西湖の北側を進みますが、ペースは次第に落ちていきます。

僕よりも遅い時間にスタートして精進湖まで同じコースを辿る4LAKESのランナーに次々と追い越され、多くの同じ5LAKESのランナーに置いていかれる展開に。

脹脛肉離れを抱えていた昨年のサロマ湖100kmウルトラマラソンの時と比べて体調は万全だった分、余計に不安が大きくなり、今日は完走は無理かもとどんどん弱気になっていきます。

精進湖では残り10個になっていた名物エイドのエクレアにギリギリでありつけた幸運もありましたが、

精進湖を周回し終えると、いよいよ5LAKESの山場となる5湖目の本栖湖へ向かいます。

ここで4LAKESや3LAKESのランナーたちとはコースが分かれるため、レースは一気に寂しい感じになります。

正念場の本栖湖

本栖湖は精進湖から2キロ離れたところにあり、一周14キロほどあります。

応援も少なくランナーもまばらとなるのですが、5Lakesの多くのランナーが口にするように、孤独感が強くなり肉体的にも精神的にもキツくなるところです。

74.8キロ地点、本栖湖県営駐車場の第4関門の制限時間に間に合わないランナーも多いため、ここから先は後ろにいるランナーが実際に極端に少なくなりました。

僕の調子は依然として距離が進むにつれて落ちていく一方で、そんな状態が本栖湖を周回する80キロ過ぎまで続きました。

振り返ると、やはりこの辺りが正念場でした。

長く孤独に感じた本栖湖周回を進む途中で、

「一緒に走りましょう」

と後ろから声を掛けられました。

振り返ると声の主は、第三関門の足和田の手前で話をした名古屋のランナーさんでした。

しばらく会話を交わしながら孤独な本栖湖の終盤から次の関門まで並走して進みました。

聞くと、昨年も5LAKESに参加したそうで、何と最終関門で僅か1分オーバーしてしまい、DNFとなってしまったとのこと。

ゴールまで目前の最終関門でバスに回収された時は本当に悔しい思いになったそうで、

「今回は昨年よりも早いペースで来ているし何とか完走したい」と話していました。

この並走をきっかけにして、僕は足を動かす感覚を取り戻しました。

会話をしながら無理なく少しずつペースを上げることができたおかげで、いつの間にか調子が上向いてくれたのでした。

まだ残り30キロほどの距離がありましたが、ここからの復活が完走へと繋がるポイントになりました。

最も長い旅路

こうして調子を戻したことで、90.1キロ地点、旧精進小学校の第5関門を通過し、その勢いで何とか98.7キロ地点、第6関門の西湖公民館に到達します。

この時点で、スタート前に目安としていた「残り20キロでゴール制限時間の3時間以上」をクリアし、完走の可能性が高まりました。

いよいよ110.8キロ地点、富士河口湖町役場駐車場にある最終の第7関門を通過。

楽しみにしていた味噌汁は終わってましたが、というかエイドステーションは既にほとんど撤収が完了しつつあったし、時間の余裕もないので足早に先へと進みます。

すっかり陽が落ちて真っ暗になり、しばらく前から降り出した雨が次第に強くなる中、

最後に待っているのが、標高1000mの富士山麓の7キロに及ぶラスボスの上り坂です。

スタート時と同様にウィンドシェルとベッドライトを装着して、

ゾンビのように重い足取りながら何とか激坂も上りきり、

制限時間まで残り10分と迫る19時すぎにフィニッシュ。

結局15時間近くに及ぶレースで、全参加者中、

僕はもっとも長く遅い時間まで旅路を満喫した一人になりました。

「どうして好き好んで長距離レースを走るのか?
マラソンでもウルトラマラソンでも毎回感じますが、

ありのままの自分を受け入れる感覚と完走した時の達成感が途轍もなく大きくて、

これが多くの人を魅了する理由ではないかと思います。  

Screenshot

今年のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンにも、全カテゴリー合計で4千人以上ものランナーが参加しました。ちなみに、5LAKESは740人、完走率は57%でした。

旅はつづく

投稿者
KUGE RUN

九郎

コロナをきっかけにジョギングをはじめる。 「人はどうして走るのだろうか?」 と思いながら普段は地元の江の島周辺を走り、 ときどき各地で旅ランを楽しんでいる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)