ランニングとタイパの関係について
と言っても、ランニングエコノミーの話とかでなく、今回はもっと手前の話です
タイパ
タイパはタイムパフォーマンスの略で、
「ある効用、または満足感を得るにあたって、犠牲にする時間あたりの効率」を意味します
昨今ではZ世代の価値観を表す語として象徴的に使われている、のだそうです
もちろん賛同できる合理的な考え方ですが、
Z世代の価値観と言われると、ふーんという感じ
仕事の話など言いたいことは色々あるけど、そんな中年世代の戯言は置いておいて、
ランニングに照らすとどうでしょうか
ランニングに費やす時間
ランニングという活動では、基本的にそこそこ時間を費やします
普段の一回あたりのランニング時間は、僕の場合、短いときで30分、長いと2時間くらい
比較対象が難しいですが、散歩や読書なら少し長めだけど、長くてサッカーや映画鑑賞と同じくらい
ゴルフのプレーや野球観戦以上ではない、という感じ
一方、頻度はけっこうあり、僕は週に4回程度
そうすると、平均1時間とすると、週4時間、月18時間くらい費やしてることになります
僕の生活の中で、一つのことでこれだけ時間をかけていることは他に何があるだろうか??
これはなかなかの時間です
量質転化の法則
「量は質に転化する」という考え方があります
先日聴いたランニングラジオでパーソナリティーの岡田さんも話題にされていました
一般的にランニングはパフォーマンス向上という点でこの法則が明確にハマるものと思いますが、
ランニングにおける質の転化とは、単に「タイムが縮まる、速くなる」ことだけでなく、
その人が所謂「ランナー(走る人)になる」という、誰もが通る初期段階の変化を想像してみました
大袈裟に言うと、走る人になるとは「ランナーという人種」に生まれ変わるという意味です
ランニングあるある
再びタイパのことに話を戻します
この「ランナー(走る人)になる転化」の過程で「タイパ」を追求しようとすると、次のような事象が生じます
①「短期間で高強度」の練習をする(「短期間で高強度」の度合いは人によって異なるが、走る人になる前は、往々にしてその人が思うよりもずっと手前に限界がある)
→ ついやり過ぎてしまう(最初はそんなつもりはなかったが、結果的にそうなる)
②身体に無理が生じる(多くの場合はあとから認識する)
→ どこかが痛くなる、怪我をする
③心が離れる…(痛みの記憶は残る)
→ 転化が遠のく、走ることが嫌いになる、走ることをやめてしまう
これ、ランニングあるあるじゃないですかね
このようにランニングとタイパとは、決して相性は良くないように見えます
最高の走り
前出の岡田さんは量質転化の法則の好例として、
世界で最も多作な美術家としてピカソのことを引き合いに出されていました
なんでも、絵・デッサン・版画・本の挿絵・彫刻・陶器で計15万点もの製作をしたらしい
その上で、ピカソは「明日描く絵が一番素晴らしい」と語ったそうです
じゃあ、僕はこう言ってみたい、
「明日は最高の走りになるはず」
タイパとは対極の、量の先で出会うもの
そんなことを頭におきつつ、ランニングと長く付き合っていきたいものです
つづく