ランニングがもたらす価値は、その運動的な行為による肉体的鍛錬や健康への影響に関して、多くのことが研究されたくさんの人によって語られています。今回ここではそうした価値以外で、走る時間に得ることができる、僕が感じる「副次的な価値」について書いてみようと思います。

まず、走る時間にしていること、またはやったことのあることを挙げます。

  1. 音楽を聴く
  2. もの思いにふける
  3. 考えごとをする
  4. 小説を聴く
  5. ポッドキャストを聴く

1. 音楽を聴く

これはジョギングを始めた時からやってることです。

以前の僕は自分の息遣いを聞きながら走ることが嫌だったので、走る前には、ランニングシューズを履くのと同じくらいの優先度で、音楽を聴く準備をしていました。

余談ですが、あの頃(走りはじめた頃)は、ランニング自体に高い壁があって、「さぁ、これから走ろう」と、清水の舞台から飛び降りるかのような勇気と決意を毎回必要としていました。

そう考えると、「音楽でも聴いて気を紛らわせなきゃとてもやってられねぇ」的な感覚すらあり、逆説的ですが、僕の中で走る時にどれほど音楽を聴くことが重要だったかお分かりいただけると思います。

ではどんな音楽を聴くのかと言われると、これが大したこだわりはなく、洋楽・邦楽、ロック・ポップ・ジャズ・ハワイアン・ボサノバなど基本雑食です。当然、真剣に音楽を聴き入ったり、メロディを口ずさんだり、ビートに合わせてステップするなどは一切ありません。その時の音楽は僕にとってバックグラウンドミュージックでしかなく、混雑したカフェで流れるそれとほぼ同義なのです。

このように走りながら「音楽を楽しむ」は、僕にとって決して価値の高いものではなく、走ることに集中したい時に、外からの音をある程度遮断したいときに有効な手段として活用しているのでした。(全部遮断するのは危険なのでしません)

2. もの思いふける

じつはこれが一番の副次的な価値ではないかと思っています。

集中しすぎることなく、無意識下の自分自身と対話するような感じ。

「もの思いにふける」とは僕はこんな状態かなと思っていますが、長距離を走っているときにはこのような状態が長く続きます。

以前、走る目的としてのマインドフルネスのことを書きました。動のヨガです(記事はこちら)。

これは目的の位置付けですので、もはや副次的ではなく主たる価値とも言える話になりますが。

ちなみに僕の場合、音楽を聴くことによって集中力が増して、マインドフルネスがより助長される側面があると思っています。

3. 考えごとをする

これは二つの種類があります。

ひとつはそもそも走る前から悩んでることや考えてることがあり、それを走りながら整理するという行為です。

走ることで気分が変わり、悩みごとは小さく無意味なものに思えたり、ずっと難しいと考えていた課題に対して急なヒラメキで解決策が浮かんだりする。こういったことが、毎回とは言わないものの、まあまあな頻度で起こります。不思議なことに。

そしてもう一つは、もの思いにふける中で、いつの間にか思考が転じて、深く考えごとをしていることがあります。

マインドフルネス的には失敗ですが、これはしばしば起こることです。

このように考えごとをするのともの思いにふけるのは、とても近しい関係にあり、僕の頭の中でかなり頻繁に互いに行き来している間柄ではないかと思います。

4. 小説を聴く

「音楽を聴く→もの思いにふける→考えごとをする」と変遷して、次にたどり着いたのが「小説を聴く」でした。

ゼーハーするような走り方の時は向きませんが、のんびりLSDを走る時間には「ラン&読書」で一石二鳥なのではないか、と思ってトライしたのでした。

結論から言うと、小説は難しいです。

僕の場合は、作品によって聴けるものと全く聴けないものがはっきり分かれます。

字面というか耳に入る内容をそのまま聴き入れればよい設定やストーリー展開なら問題ないのですが、想像を膨らませたり行間を読んだりする必要がある作品はまったく頭に入りません。走りながら考えていると、あっという間にスートーリーが前に進んでしまって追いつかなくなるからです。

その点で、小説ではありませんが、同じ書籍でもエッセイは聴きやすいですね。とくに語録やインタビューのような口語を文字に起こしたものは、ラジオ感覚で入ってきます。

5. ポッドキャストを聴く

そして、こんな変遷を経て現在の僕がたどり着いたところはポッドキャストです。

とくにランニング系の番組を楽しんでいます。ランニング系番組のコンテンツはランやレースに関わる情報や、日々のモチベーションが上がるような内容になっていて、副次的な価値もバッチリです。いまのところ走る時に聴くコンテンツとして最適だと思っています。

ちなみに「走る時に」としたのは、それ以外の場面ではそうでもなかったりするからです。例えば通勤中やドライブ中に試してみたのですが、その時に聴くコンテンツとしては今一つでした。

それは走っていない時に走ることを考えるので、気分的に盛り上がりに欠けたり、またランニング中とは異なり、集中した状態で聴いてみると中身や質に物足りなさを感じたり。あくまで僕の感覚です。

後者の点では、先に書いた小説の方が優れていて、一人で車を運転する時などは僕は小説を聴いています。

少し脱線気味につらつらと書きましたが、このテーマに対する試行錯誤はこれからも続いてくものと思います。

そして、走りの変化やら心身の変化やらで、僕の中での副次的効果もその度に変わっていくのではないかと。

というわけで、また機会があればこのテーマで書いてみようと思います。

つづく

投稿者
KUGE RUN

九郎

コロナをきっかけにジョギングをはじめる。 「人はどうして走るのだろうか?」 と思いながら普段は地元の江の島周辺を走り、 ときどき各地で旅ランを楽しんでいる。

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