2024年6月30日、第39回サロマ湖100kmウルトラマラソンに参加しました。

レースログの前半はこちら

大エイドからの巻き返し

じつは当初のレースプランでは、54.5km地点まで思い通りに走れたら、大エイドをスルーすることも考えていました。実際はそんな余裕は全くありませんでした。本当に考えが甘かったと思います。

ドロップバックの中には、シューズも含めた着替え一式、食料体調不良や怪我をしたときのための薬やFA、雨や気温の低下に備えるためのレインウェアとそれを収納するリュックなどを入れていました。

スタッフの方からドロップバックを受け取ると、おいエナとクリームパンを取り出し、ハンガーノックの解消のために真っ先にこれらを身体の中に水と一緒に飲み込みました。他には気分転換のために帽子を取り替え、食料を入れていたビニールの袋を腰ベルトに突っ込みました。それ以外のものには手を触れずにドロップバックを戻しました。この袋は暑さ対策で氷を入れて持ち運ぶのに利用しました。

大エイドでは、多くのランナーがテントの下に設置された椅子や地面に腰を下ろして休んでいました。僕は座って身体が固まってしまうのが嫌だったので、今年も座ることなくゆっくり動きながら、テーブルの上に並べられたシャリ玉やバナナを口に入れてエネルギーを補充して、水と氷で体をしっかりと冷やしてから、そそくさとエイドを後にしました。

大エイドの直後はしばらく上り坂が続きますので、無理せず歩いてやり過ごし、下り坂になってから、ゆっくりと足を動かしていきました。

するとどうしょうか。少しずつ足の動きが戻ってきました。ハンガーノックの症状も薄れているいく感じがあります。こうしてこのレースの1回目の復活に繋がり、キロ6分半前後で走れるようになりました。

60kmを6時間22分で通過。

昨年はまったく足が動かなかった魔女の森の中も、順調に進むことができました。おかげで、貴重な木陰が薄暗くて眠気を誘う独特の雰囲気を、今回はしっかりと味わうことができました。

魔女の森の手前のエイドでは、2回目のスペシャルドリンクとして用意しておいたコーラを飲みました。3回目のスペシャルドリンクもコーラを置いたのですが、これも1回目と同様に大正解。コーラのボトルは一人で飲み切るには多すぎる量だったので、近くにいたランナーさんにもお裾分けして喜ばれました。

魔女の森を抜け、再び直射日光に曝されながら、去年までおしぼりや湯呑みに入ったお茶を振るまってくれた斉藤商店や、屋根上て大漁旗を振って応援してくれるサロマ湖ゲストハウスさろまにあんの前を通り、70kmを超えるとコースは佐呂間町から北見市常呂へと移っていきます。

再びの試練

70kmの手前からは50kmのランナーとコースが一緒となります。ドローンで上空から見たら、湖沿いの細い道をランナーたちがワッカに向かってゆっくりと行進しているような様子でしょうか。

70km通過は7時間34分。

そして、74kmにはサロマ湖鶴雅リゾートの私設エイドがあります。ここでは名物のそうめんやぜんざいが振る舞われてました。よく冷えたそうめんを続けて2杯口の中に放り込み、他のエイドと同様にしっかりと腕や頭を水と氷で冷やして、体勢を整えてから再び走り出しました。

ところが、それまでと同じように少し歩いてからジョグへと移行したところ、どういうわけか思うようにスピードが上がりません。大エイド以降はずっとキロ6分半で粘ってきたのに、7分半が精一杯です。

エイドでの微妙な何かのアクセントが引き金となり、僕の走りは再び下降線を辿っていきました。ここから79kmのワッカ入口までの5kmが、本当に長く感じました。

昨年は変則ルートで最後にゴールへと向かった90km以降の道、いや半分は歩いたところです。とにかくキツかった記憶しかありません。従来ルートに戻った今年は、この先で、しばらく前から左の視界に存在するワッカを10kmほど戻り返し、そして再び帰ってくることになります。単純にあと20kmの距離を走るものと考えればいいのですが、視界の左の絵と余計な想像力が疲れた足をさらに重くさせたのでした。

80km通過は8時間52分。

夢にみた聖地

ゴール地点の3km手前で左に折れて、79キロのエイドを過ぎると、サロマ湖ウルトラのハイライト、ワッカ原生花園へと入ります。

低木のトンネルの小道の先には、右手一面にオホーツクの大海原が現れます。

左手から先には、僕たちが朝から走り続けてきたサロマ湖畔を遥か彼方の対岸まで見渡すことができます。

そして、進行方向となるオホーツク海とサロマ湖を隔てる境界には、緑に覆われた細く長い砂礫の堆積地形が、朧げな存在感で現れます。

この北の果ての地に、ひっそりと存在するユニークな景観を誇る砂州の一本道を、ウルトラマラソンの最終盤に設定する演出。これが、この大会が聖地と呼ばれる理由の一つなのだと思います。

往復約18kmのワッカの区間は、小さいながら断続的にアップダウンが続くのでとても厄介です。既に足が売り切れた状態となっていた僕は、何とか立ち止まることのないように、ただ足を前に進めることに専念するだけとなっていました。

そして、ワッカの唯一の折り返しから戻る時、この砂州で最も高い場所である第二湖口橋の上から、去年見た夢のようなサロマンブルーの光景が目に飛び込んできます。この絵を堪能するために90kmを走ってきたと言っても過言ではありません。

90km通過は10時間10分。

歓喜のフィニッシュ

ワッカでは、終始足が動かずペースはキロ7分台も維持できなくなり、後続に抜かれまくる展開になっていました。それでもワッカの終わりは、この長い旅の終わりを意味します。

長かったワッカ往復を終了すると、いよいよ最後の3kmは、フィニッシュへと向かう「ビクトリーロード」です。ゴールが近づくに従い、沿道の応援が増えていきます。フィニッシュを盛り上げる甲高いアナウンスの声が、次第に賑々しく耳に届き始めます。

フィニッシュが近いことを認識した僕の足は、突然スイッチが入ったように動き出し、残り2kmから全力のラストスパートを始めました。実際のスピードはぎりぎりキロ5分台くらい程度だったのですが、感覚的には4分台前半のようなスピード感で、すでにボロ雑巾のようにくたびれ果てた両足をフル回転します。

そんな風に必死に走っている僕の姿に対し、ビクトリーロードの沿道からは、より一層の大きな声援が送られました。まるでヒーローになったような感じで、最高の瞬間でした。

そして、早朝5時の号砲から11時間27分後、無事に今年のサロマを終えたのでした。

旅はつづく