2022年12月4日、両膝の靱帯損傷のため、湘南国際マラソンをDNSしました。
6か月かけて準備してきたことが、直前の不注意でふいになってしまう事実。
マラソンは積み上げのスポーツなので、相当に精神的に堪えました。
満を持しての地元ラン
5月の初マラソンのカーター記念黒部名水マラソンでスイッチが入り、12月の僕の中の「本命」に向けた準備として、9月にオホーツク網走マラソンも順調にサブ4で完走しました。
その後も、10月に多摩川ハーフマラソンで足を慣らし、30kmの距離走も経て、計画通りに練習を消化することができました。
さあ、レース3週間前のここからは練習量を落としてテーパリングへ。
こんなタイミングでの負傷は、本当に悔やまれました。
地元で開催される華やかな雰囲気のある湘南国際マラソンは、昔からずっと憧れていた大会。
3年前にジョギングをはじめた際、最初に頭に思い浮んだ目標も、湘南国際マラソンとホノルルマラソンを走ることでした。
とくに、日頃から慣れ親しんでいる国道134号線の真ん中を、堂々と走ることができるのが楽しみでした。
さらには、地元の友人が多く参加する大会であり、仲間たちと一緒に走りたい気持ちが強くありました。
僕にとってこの大会への出場は、走ることの出発点のつもりだったのでした。
好事魔多し
ところが、心も身体も準備万端だった中でのまさかの両膝内側側副靭帯損傷。おまけに人生初の松葉杖。
自分の不注意によるアクシデントによって、、ランニングとは関係のない海の活動(ライフセービング)でケガをしました。
負傷した翌日は自力歩行すら困難だったものの、幸いなことに、ケガの程度は軽くはないが深刻なものではありませんでした。
治療方法は自然治癒でしたので、11月13日の受傷以来、仕事も含めて外出をできる限り控えて、ひたすら安静にしました。
すると、日に日に膝の具合は回復し、痛みも緩和していきました。
負傷から8日後の21日には、1.5キロのウォーキングができるようになっていました。
歩くことができるなら、多少傷んだとしても無理すれば完走できる自信はありました。
そして、レースの二日前、12月1日の朝には3キロジョグをすることができました!
走り終えた後の痛みやダメージもありません。
微かな望み
これなら湘南国際マラソンに出走できるかも!!?
ケガをしてすぐに整形外科の先生に出走の可能性を尋ねた際は、
「3週間は絶対安静!、マラソンなど論外!!」
とびっくりするほど怖い顔で言われました。
周囲の人たちに出走したい気持ちを打ち明けてみましたが、
ことごとく「優しく反対」されました。
それでも僕は諦められなくて、本当に直前のレース前日の朝まで出場するかどうか迷いに迷いました。
「ゴールすること、歩かないこと、楽しむこと」
あの村上春樹さんの言葉の拝借ですが、これは僕の中のマラソンのルールとしていることです。
これに照らして考えてみました。
仮に、今回の湘南国際マラソンで何とか完走できたとしても、これから長い期間か将来に影響するような大きなダメージが残ってしまうかもしれない。
また、たとえゴールできたとしても、歩かないことと楽しむことがならば、DNSする理由として十分ではないのか。
最後まで悩みました。
そして前日の朝、目が覚めると膝に痛みが出ました。
強くはないけれど、ハッキリと。
「今回が最後のマラソンではない」
あきらめの悪い僕も、これでようやく気持ちに区切りがつきました。
応援
レース当日。
折り返しのエノスイの少し手前、16-17km付近。
「走」の団扇を持って、僕は沿道に立ちました。
トップ選手の走りも見たかったので、少し早めから会場に足を運んで、コース脇でランナーたちを待ちました。
結果として、先頭から最後尾まで、2万人近いランナーの全員を応援しました。
「ナイスラン!」
声出し自粛のマスクをしながらも、無意識のうちに大きな声をかけ続けていました。
これまで僕が走った黒部、網走、姫路のkm に及ぶ沿道からいただいたたくさんの声援は、本当に嬉しく、力になりました。
地元の沿道で、ランナーたちに声をかけ続けていたら、その時の感情を鮮明に思い出しました。
「今日は僕が応援をする番なのだ」
応援に笑顔で応えるランナーたちや、集中して黙々と走るランナーたちを見送り続けました。
そして、マラソンを走る人たちのそれぞれにとっての魅力について、しばし思いを馳せることができました。
こうして僕は今回のケガの意味を理解しました。
つづく