2024年6月7日、奥信濃100で50kmのトレイルランニングレースに参加しました。
夢への一歩
奥信濃100は長野県木島平村周辺トレイルを舞台とする、国内のトップ選手も参加する本格的なトレイルランニングの大会。
僕にとって初めてのトレランのレースです。
50kmはロングにカテゴリーされるもので、最初にエントリーするには「いきなり」の距離。
ロードですがチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンで14時間を走り切った経験から(記事はこちら)、何となく完走はできるのではないかと思っていました。今回の制限時間は11時間でしたので、その間は動き続けることができるだろうと考えたからです。
そして、「いつかは憧れのUTMBへ」という淡い想いも持ってのエントリーでした。
サロマ湖に向けて
このレースの前に考えていた目標は3つ。
楽しむこと。ゴールすること。ケガをしないこと。
今回は、同じ6月の終わりに参加するサロマ湖100kmウルトラマラソン(昨年の記事はこちら)のトレーニングも兼ねて、距離走、時間走、暑熱順化も狙っての出走でした。
ロマンスの神様スキー場
レースはスタート直後のいきなりのスキー場ゲレンデで、登ってる途中から脹脛が張り出す不安な出だし。足を使わないように歩いていたのにも関わらず、、、
じつは、僕は高校生の時に仲間たちと木島平スキー場に来たことがありました。「木島平」の名前は忘れていませんでしたが、今回エントリーした時にそれが同じ場所と結びついていませんでした。
今は木島平スキー場ではなく「ロマンスの神様スキー場」と名称が変わっているのですが、前日受付で実際にそのゲレンデを目の前にした時、当時のスキー場の様子を思い出しました。
スタートから掛け上げる斜面は中級者ゲレンデで、体力溢れる高校生の僕は、当時ナイター照明が設置されたこのゲレンデを終了時間まで滑り倒した記憶があります。
そんな思い出のゲレンデを、36年後に初トレランレースで這い上がっている事実に、不思議な縁があるなと額に汗をしながら思ったのでした。
素晴らしすぎる渓流
スタート時点の登りと下りのスキー場を抜けるといよいよトレイルに入っていきます。
この日は天気に恵まれ気温が上がることが予想されました。
スタート時間が11時と遅いこともあり、序盤は慣れないアップダウンによる足の売り切れと共に、水不足にならないことに注意して慎重に走りました。
最初のエイドの糠千は7km地点となります。ここではしっかり水分補給をして足早に立ち去りました。
ここからがトレイルの本番です。
16km先の次のエイドのカヤの平まで、本沢川沿いを一気に1000mを駆け上がっていきます。
本沢川は新緑の森に囲まれた美しい渓流で、渡渉やドボンポイントもあります。
時折ある四つん這いになるくらいの急登と格闘し、緩くヌカるんだ土や苔が生えて滑りやすくなった岩に細心の注意を払いつつ、とにかく一歩一歩前に進んでいきます。
水量豊かな白濁の沢と一面の緑の光景は、かつて青森の奥入瀬渓流を散策した時に目にした景色を思い起こすほど美しく、足早に通り過ぎてしまうのが口惜しく感じるほど贅沢な景観でした。
静かに見守るブナの古木たち
最高標高ポイントを通り林道を抜けると、カヤの平エイドに到着しました。
さっさと食料と水分をチャージし、ザックの中身を整理して、できるだけ休憩は取らずに、このコースの最高のハイライトとなる北ドブ方面へと向かいます。
ここは上信越高原国立公園の中心で、森に広がる樹齢300年を超えるブナの原生林は「日本一美しいブナの森」とよばれるほどです。
そんな贅沢すぎるトレイルコースを走ることができる幸せを噛みしめながら、いや踏みしめながら、この辺りまでは順調に、本当に順調にレースを進めていきました。
この辺りまでと書いたのは、10km先の次のエイドとなる二回目のカヤの平エイドに戻る直前、ここに強烈な登り返しの直登がありました。
この登りが100kmの部も含めて奥信濃100で最もキツい登りパートです。
ロードレースにはない、とにかく我慢、我慢の登りの道。
シングルトラックとなり、途中で足を止める人は、コース脇の僅かに両足をおけるスペースにそれて、後続のランナーに道を譲ります。
僕は止まることなく、登り続ける前の人たちに付いて行くことだけを考え、絶対に脱落しないぞと気持ちだけで足を動かします。
「この坂は永遠に続くんだ」と考えるような覚悟で登り続けると、
「終わらない坂はない」
という言葉があるか知りませんが、とうとうこの直登を登り切ることができたのでした。
この時点で30kmを過ぎたところでしたが、ここから先はゴールまで基本的に下り基調となります。
ボスを終えて安心したせいか、エイドへと向かう何でもない緩い下りの道で、不意に足がもつれて転倒してしまいます。
前方から転んで一回転、一瞬にして時間が止まったようになりました。
転倒する時に足を踏ん張ったせいか、脹脛を中心として右足全体が攣ってしまい、すぐに立ち上がることが出来ません。
何とか手を伸ばして右足のつま先を掴み、引っぱりながら攣りを抑え、様子を見つつ、慎重に立ち上がって歩いてみます。
幸いなことに他には肘の擦り傷程度で済んだのですが、この足攣りが残ったまま走り続けることは難しい状況です。
しばらく足を引き摺りながら進んでいくと、何とか次第に攣りが弱まっていく感じがありました。
そんなところで、二回目のカヤの平エイドに到着したのでした。
今回は椅子に座り、ザックの整理をしながら攣りと疲労の回復を図ります。
あとで振り返ってみたら、転倒したのは、このまま行けば8-9時間でゴールできるかもと頭をよぎった直後でした。完全に油断だったのだと思います。
渡渉とシングルトラック
奥信濃のコースの別のハイライトと言えばシングルトラックと渡渉でしょうか。
ブナの原生林など長く続くシングルトラックは山の旅ランの最高のシーンの一つでした。
大きな石を飛び越えたり、勢いよく流れる川の中をズブズブと足を入れる渡渉は、童心が蘇るようなワクワク感がありました。
カヤの平から二度目の糠千エイドまでは、14kmにおよぶ林道をひたすら下りていきます。
ロードならば無心になって走ることに集中するところですが、やはりトレランは違います。
ゴツゴツした石やらヌカるんだ水溜りやらが不規則に現われる不整地を、転倒に注意しながら自分の脚力のギリギリのところで攻めて駆け下りました。
スタートしてから6時間から8時間が経過するこのタイミングは、サロマ湖では70km前後の最もキツい時間に相当するだろうか、
そんなことを頭に浮かべつつ3週間後のレースも意識して、力を抜くことなくこの区間を必死に走りました。
トレランレースの人びと
二回目の糠千エイドからゴールまでは残り5km。ここまで来ればフィニッシュは出来そうです。
それでもエイドでは豚汁やら酢飯を入れて腹ごしらえし、まだ日の明かりが残ってはいたものの、ゴールは日没後になるため、ヘッデンとリュックに付けるフラッシュライトの装着をしました。
最後のエイドワークを終えて再び走り出すと、頭上の空は明るくても森の中はほぼ暗闇となっていて、初めての山の中のライトランとなりました。
スタート直後に入ったトレイルを逆戻りしながら進み、スキーのジャンプ台の横を通り過ぎると、最後にロマンスの神様スキー場のゲレンデを登り返してフィニッシュラインに到着します。
スタートしてから8時間あまり、19時11分に無事にゴールしました。
右手に内側に巻いたガーミンでは、54.42km、獲得標高2,164mとなっていました。
奥信濃でのレースを終え大会を通じては僕が感じたこと。
トレランレースを楽しむ人々は、
選手もスタッフも応援する人も、
イキイキとして、明るくて、元気で、
前向きで、爽やかで、力強くて、
スタイリッシュで、こだわりのある、
節度を持った、大人な感じ。
そんな人びとやトレイルランニングに、
僕はスタート前(記事はこちら)よりも確実に興味を持ったのでした。
つづく